真面目なのに何故成績が伸びないのか・・・

勉強法

真面目なのに勉強ができない自分(自身の経験)

私も経験があります。自分で言うのも何ですが、私自身とても真面目でした。何なら真面目過ぎると周りから言われるぐらい真面目でした。

勿論勉強に関してもそうだったのですが謎に成績はそこまで良くはありませんでした。これは私が学生時代を通してとても疑問に思っていたことで、もしかしたら同じ様な思いを持たれたことがある方もいらっしゃるやもしれません。

具体的に言うと、授業中は居眠りをすることも無く先生の仰ることを一言一句聞き逃さず、尚且つ板書は完璧にとっていました。授業中居眠りしていた友人からはノートを見せて欲しいと言われることもしばしばあったので完成度は自画自賛ではありますがかなり高かったと思います。

それなのに何故か成績は中程度・・・。ともすれば授業中に居眠りしている友人の方が成績は格段に良いという始末・・・。「世の中こんなに不公平なことがあって良いのか!!!」と思うことが多くなり、次第に勉強に身が入らなくなって、最終的には完全に「オチコボレ」になりました。

しかしながらそれは頭の良し悪しではなく、そもそも授業の受け方、勉強の仕方そのものがいわゆる「できる奴」とは根本的に違っていたということに気付きました。

今回はその「根本的に違っていた点」について綴ります。

授業の受け方(過去の自分)

どの様な授業であっても基本的には同じことになるのですが、まずは今一度自身の授業の受け方を思い返してみて下さい。

私自身は授業中、まず眠気にやられない様に必死に堪えつつ先生の説明する授業の内容を理解する様に全身全霊を集中させていました。

そして先生が板書をすれば一言一句聞き逃さず且つ一言一句間違わない様に丁寧に板書をノートに書き写す訳です。

ここにまず第一の落とし穴がある訳です。

先生の説明を聞き逃さない様にしようとしていたにも拘らず、板書があるとそれを書くことに気が行ってしまって、先生の説明を聴くということが疎かになってしまいます。

板書を完璧(丁寧且つ正確)に書き写すことは非常に重要なことですし、後々復習をしようとした時に完璧な板書ノートがあればそれに越したことは無いと思います。そして私自身それこそが「正義」とさえ思い込んでいました。

しかぁしっ!!!

ここでよくよく考えてみて下さい。

果たして授業の目的とは何だったのか?その完璧な板書ノートの活かし方とは如何なるものなのか?

つまり授業を受ける目的は「自身の学力を上げること」だとすると、板書ノートはその補助、学習効率を上げる為の「手段」ということになります。

それにも拘らず板書ノートを完璧に取ることに必死になってしまうと、学力向上の為の「手段」が「目的」になってしまって、本来の目的を見失ってしまっているということになります。

手段はあくまでも手段であってそれ以上ではないということです。勿論完璧なノートを取ることを否定するつもりは全くありませんが、完璧なノートを取ることに満足してしまっている自分がいる訳です。

それに満足してしまって本質部分(内容の理解や重要事項の暗記)を見失ったまま、さりとて真面目に授業は聴いている(感覚に陥っている)と絶対的に自負している訳ですから、成績が良くならないとそのギャップに苛まれてしまうということです。

そして最終的には極度にモチベーションが下がり、残るのは劣等感のみという負のスパイラルになってしまう訳です。

授業の受け方(更なる致命的勘違い1)

既述の通り、自身は真面目であるという自負を持っており、いわば真面目であることが「信念」の様になっていました。

勿論、真面目であることが悪い訳ではありませんし、寧ろ良いことではあると思います。

しかしながら物事には「程度」というものがあり、何事も「過ぎたるは」というのは却って悪影響があると思います。

例えば「真面目」も極端なレベルになれば欠点となり、適切な表現化否かは判りませんが「融通が利かない」ということにもなりかねません。

そうなんですっ!!!

ここに第二の落とし穴がある訳です。

それは、「授業を真面目に聴きさえしていれば問題無い」、「先生の説明することを理解しさえすれば問題無い」という大いなる誤解です。

理解するということは大変重要ですし、授業を受ける上(意義)としては基本中の基本です。しかしながら「理解をしたことを覚えて(暗記)おかなければ何の意味も無い」ということです。

更に授業中に先生の説明することをその時は「理解できた」としても、覚えていなければその理解は「単なる自己満足」に成り下がってしまいます。それでも「理解した」、「解った」という感覚を味わってしまうとそれだけで自分が「できる奴」である様な感覚に陥ってしまいます。

授業の受け方(更なる致命的勘違い2)

既述の通り、過去の自分は相当に授業の板書ノートは完璧且つ授業内容が理解できたと思い込んでおり、その真面目さを周りの人間も見ているものですから現実とかけ離れた架空の自分像が出来上がる訳です。

つまり真面目であるが故に「本当はあまり勉強はできないくせに、できる奴」というギャップができてしまう訳です。

どんなに自分がそれを否定しても周りは「そんなことはないだろう!」と言って一笑に伏すものですから自分もその架空の自分を否応無く演じ続けなければならなくなる訳です。

これがかなり苦しいっ!!!

できないのにできる奴で在り続けなければならない訳ですから・・・。

そうなるともう「本当にできる奴」にならなければならなくなる訳です。

しかしどうしたら「できる奴」になれるのか?

その答えは「正しい認識、努力をしなければ、言い換えれば正しい認識、努力をしさえすれば自ずと自身の能力を上げることはできる」ということになる訳です。

次の投稿では今回の投稿の補足をしつつ、その方法論について綴っていきたいと思います。

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